僕の書斎には、2つの銅像がある。
一つは、旧約聖書のサムソンが神殿を破壊する場面を描いた銅像。
もう一つは、古代の都市国家スパルタの王、レオナイダスが槍と盾を持つ銅像だ。
映画『300』でお馴染みのレオナイダスだが、巨大なペルシャ軍に対し、スパルタの精鋭部隊を含むわずかな兵士たちで立ち向かい、テルモピュライで3日間抵抗したという話が残っている。
旧約聖書にもギデオンという戦士が登場する。
ギデオンは、集まった3万人以上の兵士の中から、わずか300人を厳選し、圧倒的多数のミデヤン人に対して夜襲をかけ、奇跡的な勝利を収めている。
書斎の銅像を見るたびに、僕は思う。
強いチームは、数ではなく、質と戦略である。
レオナイダスとギデオンに共通しているのは、少数精鋭であることだ。
中途半端なやつは、そもそも仲間に入れてもらえない。
普通なら、物量で負けているのであれば、少しでも有利に戦えるように、できるだけ多くの仲間を集めようとするはずだ。
しかし、彼らは違った。
選りすぐりの者しか、仲間に入れなかった。
数を増やすことよりも、誰と戦うかを重視したのだ。
レオナイダスとギデオンには、もう一つ共通点がある。
それは、二人とも敵の強みと真っ向勝負していないことだ。
相手の強みを打ち消すことのできる地理的状況、時間帯、そして作戦を選んだ。
レオナイダスは、狭いテルモピュライの隘路(あいろ)に敵を誘い込むことで、ペルシャ軍の圧倒的な兵力という強みを打ち消した。
ギデオンは夜襲をかけ、角笛や松明を使って敵をパニックに陥れ、わずか300人で圧倒的多数の敵に立ち向かった。
つまり、彼らは単純に「強い敵に勝とう」としたのではない。
相手の強みが発揮できない状況をつくったのだ。
僕は、総合格闘技実業団「TOPTIER」という格闘技チームを率いている。
僕も、少数精鋭のチームでありたいと思っている。
TOPTIER FCという格闘技大会も開催している。
格闘技業界には、長い歴史を持つ老舗の団体が存在し、すでに大きなシェアを握っている。
だからこそ、僕たちは無謀な真っ向勝負をするつもりはない。
もちろん、志では負けない。
しかし、相手と同じ土俵で、相手と同じ戦い方をする必要はない。
自分たちの強みが生きる場所を探し、自分たちにしかできない戦い方をする。
老人ホームの経営も同じだ。
僕は、ホームのビジョンに賛同しない人間は、いかに能力があったとしても、仲間から外すことがある。
なぜなら、組織にとって、能力だけがすべてではないからだ。
どれだけ能力が高くても、同じ方向を向いていなければ、チームの士気が下がる。
一人の優秀な人間を残すことよりも、チーム全体が同じ志を持って進むことの方が大切な場合がある。
人数を増やせば、強いチームになるわけではない。
誰を仲間にするのか。
どこで戦うのか。
いつ戦うのか。
どう戦うのか。
リーダーには、その一つ一つを決める責任がある。
僕は、古代の偉大な戦士たちから、リーダーシップを学んでいる。

