01 | プロになれなかった僕が、MMA実業団を作った理由


MMAジムのない田舎町で、僕は自分のジムを作った

2021年、僕は32歳だった。

沖縄から高知県須崎市に引っ越してきた当時、僕はプロ格闘家を目指すアマチュア選手だった。

父の介護事業を手伝うために妻と二人で移住したが、人口2万人以下の田舎町にMMAジムはなかった。

高知市には当時2件の格闘技ジムがあったが、須崎市から車で1時間と遠く、選手も1、2名しかいなかった。

一方、父が経営する介護事業も課題が山積みで、人材不足、経営不振、会社組織もバラバラで、チームと呼べるものではなかった。

そのような状況の中、僕はプロMMAファイターになる夢をどうしても諦めきれなかった。

年はすでに30代前半。

大会で何度も優勝し実力はついてきたものの、プロ昇格できず焦りがあった。

仕事も格闘技キャリアも八方塞がりのように思えた。

そんなとき、天から一つのアイディアが与えられた。

それは、前代未聞でラディカルな考えであったが、成功すれば父の会社と格闘技キャリアの課題を同時に解決してくれるものだった。

この解決策こそ、日本で始めての総合格闘技実業団トップティアの設立だった。

アイディアはシンプルだ。

僕のようにプロを目指す格闘家は全国に一定数いるだろう。

彼らの問題は、競技と生活の両立だ。

僕も沖縄で個人事業主として動画制作や音楽制作の仕事をしていたが、仕事に波があり月によっては生活が苦しかった。

プロ選手でさえ競技だけで飯が食えているのはほんの一握りであり、アマチュア選手はジム会費、大会出場費、旅費交通費など出費が多い。

競技に集中するためには、屋根と飯と金が必要なのだ。

選手にとって、仲間と好きなMMAに打ち込み、仕事と衣食住が提供されるMMA実業団は夢のような話なのである!

団員を集め、若い職員が集まることで会社の生産性も上がるのだ。

また、いつ退職をするかわからない職員にビクビクしなくても良くなるのだ。
会社の問題、

老人ホームは2棟あり(有料老人ホームベテルホームすさき、有料老人ホームオリーブホーム)、空き居室があった。

9平米と狭いが、独り者なら暮らすのに十分な広さだ。

住む場所は確保できたが、練習場がなかった。

そこで、ジムができそうな不動産を探し回ったが、結局老人ホームの最上階(6階)のエレベーターホールに6m×8m程の空間を使うことにした。

総合格闘技のジムで一番大事なものは、床のマットだ。

不確実なプロジェクトに会社から十分な予算が降りるはずもない。

自分でも「投資して失敗したらどうしよう」という疑念(不信仰?)ですぐに行動に移せなかった。

なんでも0から始める時は怖いものだ。

スタートアップに関する自分の経験で面白いエピソードがたくさんあるので、いつか書きたいと思う。

結果的に2022年の5月に、最低限の材料を取り寄せ、自分自身でDIYで作った。

今思えば、最初から高級なマットを購入すべきだったが、誰も来ないでマットが無駄になることを恐れたのだろう。

ジムオープンから実業団のメンバーが集まるまで数ヶ月の時間がかかった。

最初の練習生は、地元の英語教師(ALT)パキスタン系イギリス人のムハンマドだった。

彼はUFCが大好きな男で、経験こそないが、僕と同じ身長と体格だった。

また、他のALTを連れてきてくれた。

練習後にムハンマドとUFCの話題で盛り上がる

皮肉なことに、高知の田舎にジムをオープンしたら、外国人が集まり、英語でMMAを教えることになったのだ。

こうしてジムが一つもない高知県の田舎町に小さなジムが完成し、僕は自分の会社の中のMMAジムで念願の練習をすることができたのだ!

二人で始まった小さなジムだった。それでも、会社のフロアで思い切りMMAの練習ができることが、何より嬉しかった。

私たちは、困難や障害に直面した時、暗いトンネルの中で出口が見えないと感じることがある。

暗闇の中の一筋の光を見つけたら一直線に駆け抜けて欲しい。

聖書にはこう書いてある。

「…あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」コリント人への手紙第1 10章13節

最初の一歩を踏み出して欲しい。

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